2022年2月14日 午前10時過ぎ
携帯の通知に「金城碧海 活動再開のお知らせ」
人間心底驚くと、声は出ても言葉は出なくなるのだと知りました。
震える指でJO1の公式HPに飛ぶと、そこにはずっとずっと見たかった碧海の姿があって、自分の言葉で復帰を伝えてくれたね。現実だよね?夢じゃないよね?とまだ実感がわかず、ふわふわしてしまっている自分がいます。
会いたかった
ずっとずっと会いたかった
2021年9月
パシフィコ横浜でのKCON、デビュー後初めての有観客でのイベント。
その時は活動休止ではなく、体調不良での欠席だと聞いていたのに、ステージに立つ10人が深々と頭を下げる姿に少し違和感を感じたのを覚えてる。
そんな深刻そうに言われたら、何かあるのかな?って心配になっちゃうじゃん!この時期だし、大事をとってお休みしただけだよね!と自分達に言い聞かせながら友人と駅まで歩いた帰り道。
2021年10月9日
まさかと思っていたことが現実になってしまった日。大きなショックであったと同時に、体調不良の原因が分かって、治療に専念できることに少しだけ安堵する気持ちもあった。
専門家ではないから何も言えないけれど、不調の原因がわかったことがきっと回復への最初の一歩だと信じたかった。休止という言葉に縋りたかった。
2021年11月
初めての有観客での単独ライブ。
碧海のパートを他のメンバーがカバーしている姿を見て、メンバーの覚悟を感じた日。
待ち望んでいたライブを11人で迎えられない悔しさは誰よりも彼ら自身が感じているはずで、それでもステージに立つと決めた10人と、休むという決断をした彼の勇気に応えたいと思った。
インターネットというオープンな場所での見知らぬ誰かの言葉が、巡り巡ってプレッシャーや負担になってしまうことだけは避けたくて、頭の中でぐるぐる考えては言葉を飲み込むことが多くなった。
2022年12月
碧海の声が入っている曲と入っていない曲が収録されている5thシングル発売。
活動休止する直前まで、カムバの準備に参加していたことが分かって少し苦しくなった。OASISを聴きながら、碧海はどう歌ってくれるだろうかと想像しちゃったりして。
徐々に碧海の話題が普通にメンバーの中に出てくるようになって、少しずつ前に進んでいるのかな、良い兆候だといいなと思いつつ、でも期待しすぎないように、元気でいてくれさえすればそれだけでいいと言い聞かせていた日々。
2021年12月28日
JO1展に碧海のサインが追加された日。リアルタイムの碧海を感じられた日。
180cmになったお。( ̄+ー ̄)のメッセージがまさに私たちの知ってる碧海で、それがたまらなくうれしくて。
時間はかかってもいつか戻ってきてくれると信じてはいたけど、碧海はJO1のこと、JO1という仕事を嫌いになったわけじゃないんだな、こうやって展示を見に来れるくらい体調が良い時もあるんだなと思えて救われた。
自分の気持ちだけ考えるなら、戻ってきて欲しいの一言しかなかったけど、何よりも心身の健康が第一で、それを犠牲にしてまでJO1でいて欲しいとは言えない。
99%復帰を信じていても、1%はそれ以外の選択もあり得ると覚悟していたからこそ、この日から私も会いたいと口に出せるようになった。前向きに待っていていいんだなと思えたから。
2022年2月14日
おかえりが言えることの幸せを噛み締めた日。
JO1は11人でJO1。ぼくたちは、ずっとひとつ。
離れていてもその事実は変わらないけれど、11人がぎゅっと集まっている姿が見れると思うと、自然と口角が上がってしまうね。
碧海、JO1になってからの2年間ずっと頑張って走り続けてくれてありがとう。
休止発表から129日間、離れていた分頑張らなきゃと焦ってしまうときもあるかもしれない。たとえ物理的に離れていたとしても、碧海がずっと頑張っていたことはみんなわかっているし、距離ができた事は一度もない。今までもずっと一緒だったし、これからもそれは変わらない。
活動を再開してからも、辛くなったら全部放り出して逃げてほしい、気にせず休んで欲しい。JO1は碧海にとって本当に大切かつ大きな存在だと思うけど、碧海の人生の全てではないから、いざという時には何よりも自分を大切にしてね。
一番辛い時に力になれない存在なのがもどかしいけれど、JO1が歩みを止めない限り、変わっていく景色を一緒に見たい。まだJO1の旅は始まったばかりだよ。
戻ってきてくれたこと、戻りたいと思ってくれていたことが何よりも嬉しいから、笑顔でこれからの話をしよう。
碧海、おかえり。